早実斎藤投手という男カテゴリの記事一覧

斎藤という投手 その1

早実斎藤佑樹投手(群馬県出身)が高校野球ファンだけでなく全国の国民に注目されたのは、伝説になったとも言える甲子園での熱闘からではないだろうか。

しかーし。早実斎藤投手は、まだ、全国民的な注目とまでは行かなくとも、一部のスポーツジャーナリストの間では、もっと早い時期から注目を集めていたことは間違いのないことである。

例えば、甲子園出場をかけた西東京大会での活躍を伝える記事には、春夏連続出場に貢献した早実の斎藤投手として紹介されている。

早実斎藤投手といえば、その甘いマスクと上品さ、そして全国的に広まった「ハンカチ王子」という愛称で親しまれ、全国の女性ファンも多い。しかし、早実斎藤の本領は、何よりも他に類を見ないタフさにある。

まず、第一に挙げられるのは、早実斎藤投手の精神的なタフネスである。

それは、西東京大会決勝戦での活躍にも見て取れる。

早実 斎藤投手は、初回、先頭打者に三塁打を浴びると、二塁手の失策、続く相手打者による三塁打と立て続けに責められた。さらに四球、死球でピンチが続いたのだが、早実斎藤投手は、そこで崩れないのだ。

続いて、早実の斎藤投手は、1年生の相手打者に「核の違い」を見せ付けるように内角直球で見逃し三振に切って取ったのである。

相手は一年前にコールド負けを食らったチームである。いきなりの先制パンチに続く制球難で広げたピンチ。
普通なら動揺してもおかしくない。

しかし、早実斎藤は微動だにせず、死球を与えて相手打者が痛みにうずくまった直後の打者に内角の厳しいコースを平気で責めたのである。

そして、同じ試合の延長10回。早実斎藤投手は、無死一、二塁から投手前の送りバントの処理で、三塁へ悪送球し、勝ち越し点を許してしまった。しかも、なおも1死二、三塁のピンチに初回に打たれた打者が回ってきても真っ向勝負を挑んで打ち取ったのである。

早実斎藤投手は、こう言う。
「とにかく最少失点に抑えようという気持ちでした。昨年は(ピンチで)焦ったこともあったけど、この夏は一度も焦ることはなかった。一番自信があるのはインコースの真っすぐ。自分の投球ができれば抑えられると思ってました」と。

この言葉に、取材に当たったスポーツジャーナリストをして、早実斎藤に「自滅」という言葉はないと言い放たせたのである。



早実斎藤佑樹投手プロフィール

右投右打、ポジションは投手。
1988年6月6日生まれ。群馬県太田市出身。

斎藤という投手 その2

先回の記事では、早実斎藤投手の精神面のタフさについて紹介した。

今日は、早実斉藤の体力面でのタフな面を紹介しよう。

早実斎藤投手は、2006年、春の選抜での2回戦、関西高校戦で231球を投げ、延長15回を完投した。

そして、その翌日の再試合も早実斉藤はリリーフ登板し、7イニング103球を投げた。
準々決勝の横浜高校戦では大敗を喫したが、この連続登板の内容を見ると、早実斎藤投手のスタミナは実証していると言えるであろう。

2006年夏。西東京大会決勝戦。その日、早実斎藤投手は、30度の炎天下の中、延長11回221球を投げ切ったのだが、彼の球威は衰えるどころか、終盤になるほど増す感じさえあったのである。

その証拠に、早実斉藤は、170球を超えた9回には、自己最速タイの149キロという数字を記録したのである。

早実斎藤投手は、こう言う。
「スピードにはこだわってません。夏はここまでやってきたことの集大成。ミットめがけて思い切り投げた結果が出たと思います」と。

早実斎藤投手のタフネスは、投球だけではない。試合の終盤局面である8回には、一塁走者として盗塁も試みている。

早実斎藤投手は、「投球以外でもとにかく勝利に貢献したかったんです」と言う。

体力温存などという考えは、早実斎藤投手の頭の中には毛頭ない。
勝つために、できることをすべてやる。
そんな気迫に溢れたプレーが、早実斉藤投手自身「自分でもこんなにスタミナがあるとは思わなかった」と言うほどの驚異の体力を生んだのである。

早実斎藤投手は、精神面、体力面のタフネスに加え、打者からみたタフさも備えている。
どういうことかというと、早実斉藤は、0−2、1−2といった打者に有利なカウントでも積極的に変化球で勝負するのである。


早実斎藤投手を伝えるスポーツジャーナリストは、最後に早実斎藤投手に対し、心、技、体すべてにおいてタフネスであり、これほどまでに攻略難易度の高い投手はなかなかいないとまで言っている。

早実斎藤投手は、「甲子園ではセンバツで(3対13で)負けた横浜とやりたい。最後は気持ちで勝つという執念を持って戦いたいです」と言っていたという。
早実斎藤投手を一躍時代の人にした夏の大会での活躍も、春の大会で負けた後、悔しさから土を持ち帰らなかったというほどの思いがあってのことだったのではないだろうか。